ずみの微妙な難病

(精神的に)具合がよろしくない時によく書く。

13年前の今日。

難病戦記のスピンオフとして書く。

鬱が始まった日。

当時、大学を卒業し、新卒でとあるIT企業にSEとして就職していた。毎日、毎日、死にたいと思っていた。

その職を選んだのは何となくホリエモンな世界観への憧れがあったのと、車の運転や転勤がしたくなかったからという今から思えば動機にすらならない理由でだ。

むいてないどころではなかった。研修は全くついていけず、場にそぐわない発言はしまくる、空気は全く読めない、メモを取っても一瞬で無くす、重要な書類も無くす、議事録を取ろうにもどうしても居眠りしてしまう、etc、、、。

決していい加減な気持ちでやっていたわけじゃなく、むしろ、今ではありえないようは真剣さで何とかしようと頑張っていた。

が、そんな様子は日々ひどくなる一方。当然、周囲の目は厳しさを増していく。

しかし、一番厳しかったのは自分自身だった。身体や心がいくら悲鳴をあげようとも無視を決め込み、厳しい言葉、概念を自分にぶつけ続けた。

どうして頑張れない。どうして同年代のようにバリバリ働けない。どうして空気を壊してばかりいるんだ。悔しく無いのか?死ぬ気で働け!。心は常にそんな言葉が溢れ、身体はボロボロになっていた。

どうして空気を読めない?どうしてもっと考えられない?お前、わざとだろ?わざと怒らせようとしてるだろ?ここから逃げてみろ。お前、一生逃げ続けるぞ。直属の上司には毎日そんな風に怒られ、呆れられ続けていた。

大学卒業までクソみたいな人生だった。馬鹿にされ、いじめられ、ハブられ。だから、しっかり働いて、働けるようになって自信が持てるようになりたかった。幸せになりたかった。だから、死ぬ気でやろう。死ぬ気でやった。

13年前の今日。上司は言った。もう、お前には味方はいない。上役にも嫌われている。でも、がんばれ。と。

何がでもなのか分からなかった。こんなにも頑張っていたのにまだ頑張れと言われなきゃいけないのか。もう。もう。もう、無理だ。

心は完全に折れて、消えて無くなった。

翌日から会社は行けなくなり、心療内科では典型的な鬱病と一瞬で診断が下った。

13年前の今日、すべてが終わったと思った。

でも、自殺する気力もなかった。

会社は退職。無職になった。

空虚で無の時間だけが続いた。5年後、とんでもなく不純な動機で立ち上がるまでは、、、。

サポステ編へ続く(多分)

話は前後するが、リツキサンをぶち込む少し前、例の骨髄採血をもう一度行っていた。しかも、腰の骨は何も取れなかったから胸骨からとの事。内側に心臓やら何やら色々ある骨なんでマジで怖かったけど、何とか乗り切り、検査用の血液も少しではあるが、取れた。が、出てきたやつが少々まずかった。

抗核抗体というやつが身体にいることが分かった。こいつがいて悪さをするのが膠原病。記事を書いている現在までこいつが本格的に悪さをしていないので何とか日常生活を送れているが、悪さをしだしたら、マジでやばい事になる、、、。

とにかく、その膠原病の元がでてきたので、そいつらと血小板を食い散らかす免疫機能をまとめてぶちのめすための治療として抗がん剤を使うとの事。強力な薬なので、まだ臨床試験段階の治療法だが、成功率は高いとの事で怖かったが、書類にサインしてぶち込んでもらう事にした。

さすがに抗がん剤。今までの血液や栄養剤とは看護師さんたちの緊張感が違った。まずは、副作用の吐き気止めを飲み、それから絶対に薬剤が漏れて皮膚に触れない様にしっかりと針を固定して、24時間かけてゆっくり身体に入れていった。

点滴のペースをコントロールする機材というのがあるのだが、こいつが点滴に空気がつまったりすると警告音を出すのだが、その音がマクドナルドのポテトが揚がったのを知らせる音にそっくりで、マクドナルドでその音が聞こえると嫌な気分になる、、、。

幸い、副作用と呼べるものは毛髪が多少抜けるくらいのもので、辛さを感じる様な事は一切なかった。が、肝心の効果はまたしても全く見られなかった。さすがに、酒飲み先生にも焦りが見えてきた。いよいよ打つ手が無くなってきた、、、。

続く。

リツキサン。

奇跡の薬の効果は凄まじかった。

まず、血が止まった。これは体内で血小板に無差別テロを起こしている免疫機能をぶち殺しまくるというステロイドの働きによるものだった。すると、ほぼ一ヶ月、口から食べ物を補給できなかったのがジュースが飲めるようになった。100%のグレープフルーツが砂糖ばりに甘く感じたのにはびびった。

次は、普通に座れるようになった。もう気を失う事もない。きっと、自分の子供が初めて立ち上がったらこんな気持ちになるんかな、と思うくらい感動した。自分の身体に。

徐々に歩いたり、固形物も食べられるようにはなったが、いかんせん、血小板の値は絶望要塞状態が続いていた。酒飲み先生は次に、ステロイドパルスという奇跡の薬をムッチャ濃くしたやつを投入してきたが、やはり、効果はない。それどころか、この薬の副作用でムッチャ腹は減るわ、血糖値が上がりまくるわ、おまけに、将来的に大腿骨が壊死する可能性もあるわで負の結果しか残らなかった。

どうやら、その道のプロの酒飲み先生から見ても俺の身体は重症のようだった。そして、ある日の夕方、酒飲み先生から新たな提案があった。リツキサン。抗がん剤を使いましょうと。

続く。

死とおばあちゃん。

へへ、イタチの最後っ屁ってやつだ。これでおらはもう鼻くそほじる力も残ってねえってことだ。(孫悟空)をリアルに体験するとは思わなかった。

身動き一つとれず、ひたすら点滴、点滴、点滴。吐血、吐血、吐血。の日々。酒飲み先生の肝いりの薬。ガンマグロブリンも効果なし。再検査と称して再び、恐怖の骨髄採血をするも、今度は何も出てこないとの事。くそ、トドメでも刺すつもりか、、、。

血小板の値が上がらない。つまり、血が止まらないという事。人生で初めてリアルに死を間近に感じた。でも、不思議と恐怖は感じなかった。正直、何一つとしてうまくいかない人生だったが、常に全力だった。それは間違いなかったからだ。入院初日に遺書めいたものもLINEで家族には送っていたし。

ガンマグロブリンの副作用の高熱で40度近い熱が出て朦朧としていた時、ふと潮の香りがしてきた。ありえない。ここは病院。アルコール臭と1ヶ月近く入浴してない俺の体臭しかしないはずだ。でも、潮の香りがした。

それは、大好きだったおばあちゃんの香りだった。水産加工場で働いていた今はもう亡くなったおばあちゃんの香りであった。目は開かない。けど、すぐそこにいるんだなぁなんて思っていた。

目が開いた。そこは変わらぬ病院。と無機質な天井。どうやら少し熱は下がったようだ。

スピリチュアル全否定派だけど、この時は少し信じた。ああ、まだこっち来んなという事かな。

その翌日、酒飲み先生があんまり処方はしたくないけど、、、のテンションで薬を持ってきた。ステロイド。奇跡の薬だった。

続く。

パーフェクト病人。

新生児期を除けば初の入院。体調は最悪だったが気分はイベント感によって高揚していた。酒飲み先生曰く、一週間で出られるとの事。よし!一週間仕事やんなくて良い。ラッキー位の感想だった。

入院棟は綺麗な建物。二階の四人部屋。カーテンは閉じ切ってあったので自分以外の3人の人物像は不明。そこに主治医のバナナマンの設楽似のイケメン先生と助手の小保方さん似の可愛らしい女性の先生が挨拶に来てくれた。

まずは、点滴。栄養剤と血小板と赤血球の3本同時!両腕が針だらけ!!すげえ、まるで病人みたいだ。と軽くテンションが上がった。ま、多少不便だけど、一週間なら、、、。

しかし、現実は厳しすぎた。体調は悪化に歯止めがかからず、口内の出血が酷すぎてティッシュに血を吐くという作業をエンドレスでしなければならず、ろくに眠れず、歯も磨けない。口内の衛生のためうがい薬が処方されるが、匂いがきつすぎて、口に入れた瞬間、薬もろとも吐血。胃の内部の出血が吐瀉物として排出されたようだ。

入院2日目の夜中。病院の廊下で気を失う。記憶は無いが、トイレの帰りに倒れたらしい。頭を打ったようだ。そのため、脳内出血が疑われ、MRIを撮るため車椅子に乗って、、、周囲が大騒ぎになり目がさめる。また気を失ってしまったようだ。出血が酷すぎて貧血になりまともに座る事も出来なくなった。

幸い、脳内出血は見られなかった。しかし、入院から一週間。完全に寝たきりで、何も出来ず、両腕に点滴。胸部には心電図モニターを出力するための装置が貼り付けられた完全なる重病人が完成していた。

先生。話が違うじゃないか、、、。

続く。

入院前夜。

先生の指示でまずは国に難病治療費の補助の申請をする。どうやら多額の治療費がかかるようだ。これがまた、色々と面倒くさかったが何とかこなす。

診断後、まずはピロリ菌の検査を行った。

因果関係は不明だが、ピロリ菌を除菌するとITPが寛解するという人が多いからとの事。

しかし、ピロリ菌はいなかった。という事を思いっきり無念な顔して伝えるのはやめていただきたい。一応、良かったじゃんか!

次は、飲み薬を毎日飲んでみよう!との事。

レパレード。という薬。こいつがバカ高い薬で、一錠だいたい三千円!それを1日2回。2錠づつ!!なるほど、補助がなけりゃ経済的に死ぬ。

しかし、こうかはないようだ。ポケモンで相性が悪い相手に攻撃しているが如く全く効果は出ず、血小板の値は絶望的な数値を診断のたび更新していく、、、。

そして、その年の8月後半。いよいよ身体に自覚症状が出てきた。足はぶつけてもいないのにアザだらけ。怪我をしても血が止まらない。口の中の粘膜から出血し始め物が食べはるなくなり、胃でも出血が起こっているようで、胸のあたりがキリキリ痛むようになった。

2016年9月4日月曜日。そんな最中の診断日。血液採血。血小板はついにほぼ0。先生は言った。入院。できませんかね?断る理由も気力も残ってはいなかった。

続く。

暗い廊下の先に。

紹介状を手に総合病院へ。

照明が暗い廊下を進み、血液内科の先生の元へ。男性。多分40代後半くらい。酒飲みな雰囲気な先生だった。赤ら顔が似合いそうな。

どうやら骨髄採血という検査が必要なようだ。腰の骨に太い針をぶっ刺して、出来立てホヤホヤの血液を診るとのこと。怖い。怖すぎる!でも、他に方法は無いそうだ。やたらと大丈夫だからを先生に連呼され逆に不安になる。

骨髄採血当日。若い看護師さんもいる前でズボンを下ろし半ケツ状態へ。緊張感がマックスに。先生が麻酔を注射してくれる。が。痛く無い!先生、注射うますぎ!

そして、太い針を刺して、血液を引き出す!

すげえ時間がかかった。どうやら俺の身体は面倒くさい作りになっているから時間がかかったとのこと。ごめんなさい。

後日。正式に診断が下る。病名、突発性血小板減少性紫斑病(ITP)。国の指定する自己免疫疾患にカテゴライズされる難病です。と。

続く。